世界でいちばんのアイドルの話

これは2019年10月20日、キンプリ2ndツアー新潟昼公演の最後の挨拶での「みんなは俺のことをどう応援してるんだろう?彼氏なのか、弟なのか、ペットなのか…」というたかいとちゃんの言葉を受けて、「私はたかいとちゃんを『アイドル』として好きだ」という気持ちを整理しようとして、たかいとちゃんを知ってから初めて生で見るまでを振り返って書いていたブログです。

ある程度書き連ねたものの、自分語りでしかない長文ブログを投稿するのが個人的に恥ずかしくなって結局投稿していませんでした。

けれど昨年11月にこの下書きを見つけて、自分語りになってもたかいとちゃんは私にとって世界でいちばんのアイドルだ、と今こそ主張したい、と思いました。

なので少し手を加えて、このブログをあらためて投稿することにします。

 

この先は2019年当時綴っていた内容です。

最後に今の気持ちを少し追記しています。

 

 

2019年10月20日、キンプリ2ndツアー新潟の昼公演の最後の挨拶で、たかいとちゃんはこんなことを言っていた。

「みんなは俺のことをどう応援してるんだろう?彼氏なのか、弟なのか、ペットなのか…」

たかいとちゃんはきっと、アイドルの中では「ファンにとっての自分」がどう見られているのか気にしている方だと思う。

かっこいいって言ってほしい、男としてみてほしい、なんて言ったり、弟にしたい人、お姉ちゃんになってくれる人、なんて聞いてみたり。

たかいとちゃんは所謂かわいい末っ子キャラだけどギャップもあるし、きっと色んな応援の仕方をしている人がいる。

リアコの人もいれば、弟にしたい人もいるし、可愛すぎて産んだ!私がママです!(?)って人もいる。

でも私はそのどれでもなくて、たかいとちゃんへの好きってどういう好きなの?とか聞かれると困ってしまう。

男の人としての好きではもちろんないし、弟ポジションというわけでもない。正直アイドルがリアルに身近にいる想像はできない。

(たかいとちゃんにかわいい♡って言うのと猫ちゃんにかわいい♡って言うのは似た感じ、と他人に話したことはあるので、強いて言うならペットが一番近いかもしれない)

 

私のたかいとちゃんへの「好き」は、何かとして、って別の言葉が当てはめられるものじゃなく、そのまま「アイドル」として「好き」なんだけどな、ってあの言葉を聞いて思った。

けどきっと「アイドルとして好きです」じゃ誰にも何も伝わらないんだろうなあ、と思ったので今このブログを書いています。

普段本当に馬鹿の一つ覚えのように「かわいい」しか言えていないので、語彙が少ないなりにももう少し好きを具体的にしてみたいと思って。

これはたかいとちゃんを好きになったきっかけやその後を振り返りながら、好きの中身を取り出していくブログです。

 

私がたかいとちゃんを初めて知ったのは大学4回生の頃だった。

4回生に上がる前の冬辺りに、なぜか突如「最近のジュニアの子って全然わからないな?エビキスやBADはジュニアの頃から知ってたのに、今の子で知ってる子ってほとんどいない…」と思い、数年ぶりに少クラを見始めた。

私がかつて見ていたのはNEWSの小山さんとKAT-TUNの中丸さんが司会だった頃なので、本当に久しぶり。

最近のジュニアの子を知る、という目的で見始めたはずなのに、気がつけばセクゾとバックのジュニアのわちゃわちゃにすっかり夢中になっていた。Hey You!は本当に何度見たかわからない。特に誰が好きだとかなかったけど、ただあの空間が可愛すぎてひたすら見ていた。

たかいとちゃんの第一印象、というか最初の頃の印象は「ジャニーさんのお気に入りの子」だった。

少クラで顔を見つつネットで最近推されているジュニアの子について調べていたりして、髙橋海人=なんかすごいジャニーさんに気に入られて推されてる子、というイメージを持っていた。けど私は顔を覚えるのが苦手な方なので、たかいとちゃんの顔を見るたび濃くてジャニーさん好みそうだなと思うもvsのキンプリが結成されるまで顔と名前を一致させられなかった。

 

その後、Mr.King vs Mr.Princeが結成され。

母親が少クラを見始める前からたまたままいジャニを何度か見ていて永瀬くんに目をつけており、私はいわちをかわいいと思っていたので自然とキンプリを見る機会が増える。

というかこの頃は色んなジュニアを見ては若い子のかわいさフレッシュさにあてられていた。You&Jしか知らないジャニオタには新鮮だった。

確かJr.にQでたかいとちゃんが平野くんの水を勝手に飲む話をしていた時だったと思う。

私も母親もジャニオタなのに全くオタクではない(でも影響を受けて詳しいしアイドルというコンテンツは割と好きな)妹がたかいとちゃんを見て、「この子かわいい」と言った。

これは妹をジャニオタにするチャンスだ、と思った。

それからとにかく情報を与えて妹をハマらせようと、私はたかいとちゃんの過去の雑誌の写真やインタビューをかき集めたり過去の公演のレポを読み漁ったりした。

その時に見つけたしょうれん、嶺亜の3人とクリエで公演をやった時期のインタビュー。

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これがなんというか、恐ろしくツボに入って。

「ふーんだ。2人なんかダンゴ虫だーっ!」が本当に最高に好き。たとえがぶっ飛びすぎててかわいい。ふーんだもかわいい。

とにかくこれを読んで猛烈にたかいとちゃんがかわいくてかわいくてたまらなくなった。今思えばミイラ取りがミイラになる始まりだった。

たぶん、それ以来私のキンプリの推しはいわちとたかいとちゃんの二人になった。

ちなみに上のインタビューの画像を保存していたのが2015年8月28日。

そこから、一体誰のためなのかわからなくなりながらたかいとちゃんやしょうれんかい、キンプリの情報を漁った。

(妹は私が急激にたかいとちゃんに興味を持ち始めると相対的に興味を失っていき、今現在も詳しいだけの非ジャニオタ)

 

いつ頃から担降り、ということを意識し出したのかは覚えてなかったけど、高校生くらいからずっと使ってるアカウントの過去ログを見たら葛藤が残っていた。

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2015年9月10日。たかいとちゃんに猛烈なかわいい!という感情を抱き始めて約2週間。

存在自体は数ヶ月前から認識していたもののなかなかの早さ。フォロワーから誰に降りるの?と聞かれてたかいとちゃんと答えたらたかいと!?いわちじゃなくて!?と驚かれたのをよく覚えてる。たかいとちゃんのことを意識し始める前はいわちのことを呟くことが多かったからだと思う。

当時の私はKAT-TUNの上田さんとNEWSの加藤さんの掛け持ちで、加藤さんのことは副担などという謎のくくりに入れていた時期も長かったけど2人とも中学生の頃から好きだった。

緩く3人応援すればいいのでは、と最初は思っていたけど、なんとなく掛け持ちは2人までという意識があったので3人は多いんじゃないかとも思い始める。

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9月20日、この頃はサマステとジャニワの間の期間で現場も決まっておらず、生で見てから降りようと思うもののいつになるんだろう、と思っていた気がする。

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9月22日、なんだか哲学みたいなことを言い始めてるギリギリの状態。

Twitterにははっきり書かなかったけど、「言い逃れできない状況」はKAT-TUNが司会をしている少プレの録画をたくさん溜めているのに少クラのたかいとちゃんを何回も繰り返し見ていることを言っていた。

この状況が答えなんじゃ、と思っていた。

 

この翌日の2015年9月23日に、初めて海人担を名乗った。

何かきっかけがあったわけではなく、上に書いたその状況が答えだってことを認めたから降りた、という感じだったと思う。

(この当時はたかいとちゃんと加藤さんの掛け持ちだったけど、色々考えて2年後くらいに加藤さんも降りて今はただの海人担です) 

担降りから約1週間後、ジャニワの発表があり私はこのジャニワで初めてたかいとちゃんを生で見ることになる。

 

ジャニワに無事当選し、私と同様すっかり永瀬くんに夢中になっている母親と東京まで観に行くことになった。

最初にも書いたけど私は当時大学4回生で、就活、卒論、実習、国試対策でいっぱいいっぱいで、担降り後辺りから12月の卒論発表までが人生で一番辛い時期だった。

要領が悪いので就活が10月くらいまで終わらず、そこから怒涛のように実験して卒論のためのデータを集めることになった。

11月は1ヶ月土日も休みなしで毎日研究室に行って実験していて、スマホに残していたデータの計算式を確認しようとスマホを開いたらたかいとちゃんの写真が目に入ってそれだけでどこか気持ちが楽になったのをすごく覚えてる。

最終バスで帰宅したらひたすら少クラを見て癒されていた。僕のシンデレラばかり見ていた気がする。通学時間が長かったので電車の中でも動画を見て過ごしていた。

あの頃は完全にたかいとちゃんが心の支えになっていた。色々悩んで泣きながら帰ったりボロボロになりつつも最後までやり遂げたけど、拠り所がなかったら全部投げ出していたかもしれない。

辛い時に頑張る元気をくれるたかいとちゃんは本当に「アイドル」だな、と改めて思った。

 

卒論発表を乗り越えて年明け、母親と一緒に新幹線に乗って帝国劇場へ行った。

当時東京の現場にはカウコン以外ほとんど行ったことがなくて初めて降り立った有楽町で迷子になったこと、NEWSやKAT-TUNの現場との年齢層の違いに驚いたこと、よく覚えてる。

特に覚えてるのは、座席についた時の緊張。

もうすぐたかいとちゃんを見られるんだと思ったらもう驚くほど緊張して、口から心臓が出そうだったし自分が今座ってる列(確かX列)が何列目にあたるのか数えようとしても途中で数えられなくなるくらい緊張していた。

こんなにドキドキするのはNEWSのチャンカパーナリリースイベントでのハイタッチ前以来、だとか思っていた。ただ観るだけなのに接触前並みの緊張だった。

幕が上がった時は、髙橋海人くんって現実に存在するんだ…という感動を覚えた。とにかくそこの舞台の上に、本当にいるという感動にしばし浸った。

その後は初めて見るジャニワの世界に翻弄されていた。いわゆるジャニーズ舞台を見ること自体初めてだったので、ある程度前知識は仕入れていたけどストーリーとかよくわからずに見ていた。ただ雑誌のインタビューでたかいとちゃんがピーチ姫で平野くんがマリオって話をしていた意味はわかった。(たかいとちゃんは健人くんに捕らわれてつるされていた)

永瀬くんのタイタニックの「お金持ち達が〜」の台詞がとても滑舌が悪く「おちゃちゃもちゃ達が〜」にしか聞こえなかったのは未だに母親がいじっている。まだ赤ちゃんだったので舌がうまく回ってなかったのかもしれない。

 

劇中で特に覚えているのは、一度しか見られないから目に焼きつけなきゃと思って必死に見た「君と…Milky way」のたかいとちゃんのダンスパフォーマンス。

覚えているといっても、たかいとちゃんの情感の乗った体の動きと、流れるみたいに動く腕と、キラキラしていた目くらいだけど。

あの時間に住みたい、と思ったし一回しか見られないのが本当に悔しかった。

けどたかいとちゃんの可愛い姿、懸命に踊る姿、演技する姿、ベースを弾く姿、色んなものを見ることができてとても楽しかったし、帰路はずっと見たものを思い返していた。

担降りする前、生で見てから降りるか決めるなんてことを言ってた時もあったけど、絶対どちらにせよ選択肢は同じだったから早く決断してよかったと思う。

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この気持ちが一番よく覚えてることかもしれない。この時の気持ちをずっと忘れないでいよう、と思ってる。

 

私がアイドルに惹かれる点はいつも大体この二つで、「元気をくれる」ことと「応援したいと思わせてくれる」こと。

私は元々二人のアイドルを掛け持ちしていたことを先に書いたけど、上田さんが「元気をくれる」人で、加藤さんが「応援したいと思わせてくれる」人だった。

たかいとちゃんはその二つを同時に満たしてくれる初めてのアイドルだった。

末っ子気質で年頃の男の子とは思えないくらい可愛いところや笑顔で楽しそうにパフォーマンスするところは見ていると本当に元気が出て、一方であまり自分に自信がなくネガティブで泣き虫なところは私が応援しないと、という気持ちになる。

たかいとちゃんは私がアイドルに求めるものを全部持っていた。

 

一方で、私がアイドルを好きになる理由がそういう部分なこともあって、歌やダンスといったパフォーマンスのクオリティを好きなアイドルに求めたことはなかった。

好きな人が見せてくれるものなら出来なんて関係なく、好きだと思い楽しんできた。

けどダンスを見るのは好きなので、これまでは自担以外にこの人のダンス好きだな、ってメンバーがグループ内にいる状況だった。

それがたかいとちゃんを好きになったことで、ダンスを見る楽しさが初めて担当で満たされるようになった。

自分の見たいものの全部をくれるたかいとちゃんを見ているのは、本当に本当に楽しかったし、こんなに色んな気持ちを満たしてくれる存在があるんだ、と感動した。

そして、この子は私の世界でいちばんのアイドルだな、と思った。今もずっと思っている。

 

あの日、黄色いペンライトの海を嬉しそうに見るたかいとちゃんを見て、自分のことのように嬉しくて、たかいとちゃんを応援してきてよかったと思った。

私が応援していたからファンが増えたとかそういうのじゃなくて、たかいとちゃんを応援したいという気持ちを持って追いかけていなかったら、あの時黄色のペンライトが少ないことを気にしていた子があんな顔をするところを見られなかったから、好きになって、応援してきてよかったと思う。

もっともっと広いひまわり畑を見て、もっともっと喜んでほしい。幸せな気持ちになってほしい。

これからもたかいとちゃんを応援していれば、きっとそれも叶うんだろうと思います。

 

☆ 

 

この文章を書いた後の2022/4/3、たかいとちゃんは本当にもっともっと広いひまわり畑を見ました。

どんどん黄色に染まっていく客席、登場した瞬間のたかいとちゃんの表情、目に焼きついています。

これを書いていた当時の私はこんなにも早くそれが叶うとは思っていなかったはずです。

 

それと同時に、当時の私はキンプリが5人になるどころか、2人になってしまうなんて当然想像もしていませんでした。

このブログの名前、なるようにしかならないは過去に応援していたグループで脱退を経験した時胸に刻んだ言葉です。

当時まだジャニオタ歴が短かったこともあり、なんの疑いもなくこれからずっと活動が続いていくと思っていて、脱退にひどくショックを受けたと同時に、期待しすぎてはいけない、いくら想っても願ってもなるようにしかならないんだと思うようにしていました。

なのでジュニアの頃は「ジュニアなんだからいつ活動の形が変わるかわからない、平野くん永瀬くんと一緒にいられなくなることもあるかもしれない」という覚悟をある程度した上で応援していましたが、デビューと同時にそんな不安はもう捨ててしまおうと思い、未来には期待しかせずに応援してきました。

でも結局、また脱退という事象に直面することになり。

こんなにも早くまた経験することになるなんて思いもしていませんでしたし、発表された瞬間は正直、もう嫌だアイドルなんてもう応援したくない、とも衝動的に思いました。

けれど過去の経験があったからか、私も大人になったからなのか、早いうちに気持ちをある程度整理することができました。

 

そんな中でたかいとちゃんが雑誌のインタビューで「選んで歩いていく道の途中でたくさんの楽しいことを見つけていこうね」「どんな変化も楽しんだもん勝ち」と発言してくれて。

今回のことに関する発言に、正解はないと思ってます。ファンの感情は当然ひとつではないので、悲しみに寄り添う言葉に救われる人もいれば、前を向く言葉に救われる人もいると思います。

私は今、後者の立場です。過去の脱退では前者で、後ろを向いてくれている言葉に救われもしましたが、その経験を踏まえて今は本人達には前を向いていてほしい、と思っています。

だからたかいとちゃんの言葉には本当に安心しましたし、嬉しくなりました。

 

私はこれまでアイドルという存在に、たかいとちゃんにたくさん救われてきました。

辛い時に元気をもらって、乗り越えることができた場面がいくつもあります。

今もまたそうです。できればもう二度と経験したくなかったメンバーの脱退がこんなにも早くやってきて、それでもまだアイドルという存在を信じたい、アイドルを応援することを楽しみたいという気持ちに寄り添った言葉をくれて、この人を知ることができて、好きになってよかった、と改めて思っています。

 

私はずっとたかいとちゃんのことを一番長く応援しているアイドルにしたい、と思ってきました。

応援している長さに大した意味はないと思っていますが、自分の中でたかいとちゃんをいろんな意味でいちばんにしたい気持ちがありました。

つい先日、海人担になって7年半を迎え、ようやくたかいとちゃんを私の中で一番長く応援しているアイドルにすることができました。

いつ嘘になってしまうかわからないので「ずっと応援する」という言葉は昔から使わないようにしていますが、過去に一度だけ使ったことがあります。

デビューが決まった時に出したファンレターに、「海人くんが夢をくれるアイドルで限り、キンプリが6人一緒に歩んでくれる限り、きっとずっと応援します」と書きました。

後者はもう叶わなくなってしまいましたが、それでもこの気持ちは変わっていません。

グループからメンバーの過半数が一気に脱退する、という前代未聞の状況でもたかいとちゃんがアイドルを続けることを選んでくれたことが本当に嬉しいですし、たかいとちゃんが夢を見させ続けてくれるなら、やっぱりきっとずっと応援したい、と思います。

せっかく出会えた私にとって世界でいちばんのアイドルを、末長く応援していたいです。

 

髙橋海人くん、お誕生日おめでとうございます。

アイドルでいてくれて本当にありがとう。これからもたくさんの元気をもらえますように。